荒川中学校正門
こんにちは。
久しぶりの熊谷記事です。
久しぶりの熊谷記事です。
あくまでも私の中での話ですが、
私には 「好きな道路」 というのがあって、
まぁ普段、買い物とか送迎とかで使ってるフツーの生活道なんですけど(^^;
私には 「好きな道路」 というのがあって、
まぁ普段、買い物とか送迎とかで使ってるフツーの生活道なんですけど(^^;
そのうちの1つに荒川中学校の大通りがあるんですね。
私が勝手に 「正門」 呼ばわりしてるこの通り。
私が勝手に 「正門」 呼ばわりしてるこの通り。
私の知ってる限りでは、それなりに古いと思われる門↓です。
だって、表札が旧仮名づかいですから・・・。
学校HPを見ると、昭和22年開校となってるから、
戦後、学校制度が現行のシステムになってからのものですね。
で、この門は↑開校当時の中学生が、荒川から石を拾ってきて作ったもの。
昔の荒川って、小石川原だったんだわ~ と、実感できる門柱です。
昔の荒川って、小石川原だったんだわ~ と、実感できる門柱です。
荒川に、砂利採集船があった時代の話ですよね。
おもに都内の建築資材(化粧砂利)として出されてしまったので、
少なくとも私が荒川で遊んでた時は、大きい石だらけの川底でした。
今は、どうなってるんでしょうね。
おもに都内の建築資材(化粧砂利)として出されてしまったので、
少なくとも私が荒川で遊んでた時は、大きい石だらけの川底でした。
今は、どうなってるんでしょうね。
熊谷駅方面から西に向かうと、中学校手前で不自然に始まる↑右カーブ。
この時点で、私の中では 「なにかアル!」 のサインが点滅。
じつは、ここはかつて 「腰巻」 という小字名で>石原村の時代です
荒川堤が大きく北側、つまり石原駅方面に蛇行していました。
後に旧堤は取り壊され、もっと南側、現在の位置に作られるのですが、
これを語ると長いので、また別に機会に(^^;
荒川堤が大きく北側、つまり石原駅方面に蛇行していました。
後に旧堤は取り壊され、もっと南側、現在の位置に作られるのですが、
これを語ると長いので、また別に機会に(^^;
荒川中に戻ります。
学校の敷地なんて、
ブロック塀とフェンスで囲われてるのが最近の風景なのに
見てください↑土止めに玉石です。 美しい!!!
ここで逆方向、ベルク方面(西)から東に向かって歩いてみましょう。
玉竜(たぶん)の植え込みが残る、笹を配した↑土堤です。
これは近年になって手を入れたものと思われます。
正門を過ぎると↓今では珍しい竹垣。
もう少し進むと、
長い年月をかけて土盛りを守ってきた木々の根張りを↓堪能することができます。
これをウットリしないで↓どうする!!>何も言わないでイイです・・・(^^;
あくまでも、私の勝手な想像のハナシですが、
大雨で、川が増水し水浸しになる場所を守るために作られた 「堤」 って、
こういうのが原型なんじゃないかなと思ってます。
水よけで欲しいのは、頑丈さよりも長さだったと思うから
高さは1.5mぐらいで、厚さもそれほどないの。
で、
大水で壊れた個所をその都度補強していって、次第に立派な堤になっていく
という、イメージ?
高さは1.5mぐらいで、厚さもそれほどないの。
で、
大水で壊れた個所をその都度補強していって、次第に立派な堤になっていく
という、イメージ?
そんなふうに萌え(?)ながら、ずっと過ごしてきたんですけど、
これらの風景は、じつはもう、見ることはできません。
これらの風景は、じつはもう、見ることはできません。
どうやら、学校敷地北側の一辺をフェンスに直すらしく
冬休みに入ったあたりから、まずは校門の門柱が撤去され、
今は、土盛の上の木々も伐採されてしまいました。
冬休みに入ったあたりから、まずは校門の門柱が撤去され、
今は、土盛の上の木々も伐採されてしまいました。
せめて門柱だけでも復活してくれないかと祈ってるのですが、
それを確認しに中学校に突撃するだけの度胸は、ないのでした(^^;
それを確認しに中学校に突撃するだけの度胸は、ないのでした(^^;
この通りで私の大好きだった木は↓体育館そばにあったソメイヨシノの老木。
開校当初から植えられていたとすれば、67年が経過していました。
さすがに樹勢はないものの、春には残った枝から花を咲かせていて、
「今年も咲いたな~」 と、見るのが楽しみだったし、
ここまできたら 「どっちが先に天寿を全うするのか!?」 と、お付き合いしたかったです。
もう、春が来ても花を見ることはないんだよね・・・。
写真とっておけばよかったなぁ~
写真とっておけばよかったなぁ~
こんな感じの後悔って、くやしいですよね。
こちらは↓息子が好きだった木。
木ってスゴイんだな~!
って、初めて思った木なんだって。
もちろん、この木も残ってない。
仕方ないとは頭でわかってるんですが、やっぱり寂しいです。
【参考資料】
「あらかわの歩み」(1985)荒川公民館/発行