【秩父古道歩き】 18番 : 神門寺へ向かう
●1日目 : 和同黒谷駅 ~ 1番 ~ 2番 ~ 3番 ~ 18番 ~ 大野原駅
納経所で道の確認をしたら、約40分で着くとのこと。
悩んでても、帰りの電車は待ってくれない。 とにかく しゅっぱ~つっ!
お寺の敷地を出ると素敵な道が↑続きます。こういうのがイイのよ~♪
悩んでても、帰りの電車は待ってくれない。 とにかく しゅっぱ~つっ!
お寺の敷地を出ると素敵な道が↑続きます。こういうのがイイのよ~♪
しか~し、数分で坂道に↓変身っ!
午前中に歩いた、2番寺への上り坂がよみがえる・・・
「ちょっと~ これ、何分のぼるの・・・?」 と、弱気になったところで
上りきりました(^^)よかったです~♪
聖地公園 (公営墓地) の脇に↑出ます。この時点で3番を出て10分経過ぐらい。
ここから右手の下り坂、霊園脇の道路を10分ほど下っていく。
午後になると気温も上がり、日焼け止め塗っててもジリジリくる。
この日は日陰で塗り直しを何度したことか(^^;)
この日は日陰で塗り直しを何度したことか(^^;)
3番のお寺では、
「聖地公園沿いの道を下っていくと140号に出るから、右折してまもなく18番に着く。」
と、教えていただいたのですが、
私の地形図上だと、わかりやすい分 (大きい道だから) それなりの道のりがある(^^;)
「聖地公園沿いの道を下っていくと140号に出るから、右折してまもなく18番に着く。」
と、教えていただいたのですが、
私の地形図上だと、わかりやすい分 (大きい道だから) それなりの道のりがある(^^;)
午後の気温が上がる時間帯、それなりに歩いてきたために体力的にも厳しいし、
膝が (まだ痛みはないけど) どうなるか予測できないので、
とにかく、歩く距離を短くとりたい。
膝が (まだ痛みはないけど) どうなるか予測できないので、
とにかく、歩く距離を短くとりたい。
そして↓ここが地図上で見つけておいた 「聖地公園から枝分かれしてる道」。
自動車進入禁止標識のその先に向かって、前進~っ!
聖地公園は高台にあるので、この道も↓なだらかに下っていきます。
しか~し、地形図には載ってない分岐点に↓遭遇。>ここらへんからアヤシイ雰囲気(^^;)
だって、地形図には道が分岐してるって表示されてないもんっ>昭和56年発行ですが・・・
とりあえず、ちょっと先、木立の向こうに民家の見える左側の道を進んでみる。
右に民家を見ながら裏手に進むと↑今度は上りになってる坂道。
きついつづら折りを曲がると、また道の分岐があり(TT)
ここでも悩むが、とりあえず民家の見える左手に進む。
というか、坂道を上り続ける。
地形図からすると 「下ったあとに上る」 なので・・・
すると、舗装道路に出たっ!>ホッとしたわ~(TT)
でも、自分の位置を完全に見失いました・・・。私がいるのは何処なんだね?
さっきの土道で結構悩んだので、15分ぐらいかかってるんです。確実に時間もとられてる。
さっきの土道で結構悩んだので、15分ぐらいかかってるんです。確実に時間もとられてる。
電車の時間がよぎり、
「このまま駅を目指せば、余裕で帰れる」 と思いましたけど
18番に行くつもりで歩きだしたので、変更するのも悔しい。
とにかく現在地の把握をしようと、コンパスを・・・・コンパス・・・?
「このまま駅を目指せば、余裕で帰れる」 と思いましたけど
18番に行くつもりで歩きだしたので、変更するのも悔しい。
とにかく現在地の把握をしようと、コンパスを・・・・コンパス・・・?
持ってくる前に、買ってないじゃん!
100均で買わなくちゃ~♪ と、思ったきり、記憶が消えてました。
まさかの間抜けぶりに自分で自分にびっくり。
まさかの間抜けぶりに自分で自分にびっくり。
落ち着け! 腕時計で南はとれる。と、
中天を過ぎた太陽と短針で南を決めて、地形図と合わせて確認する。
その間、地元の軽トラがビューン!と通り過ぎたりして、
私は何処の探検家だよと自分突っ込みをしてみるも
この時はそれなりに焦ってたので、別の私が 「ふざけるな!自分っ」 とか言ってる。
中天を過ぎた太陽と短針で南を決めて、地形図と合わせて確認する。
その間、地元の軽トラがビューン!と通り過ぎたりして、
私は何処の探検家だよと自分突っ込みをしてみるも
この時はそれなりに焦ってたので、別の私が 「ふざけるな!自分っ」 とか言ってる。
とまぁ、カオス。
県の農林業施設がすぐそばにあったので、そこと南の方角を基準にしたら現在地がわかり(^^)
県施設を右に見る方向で坂をくだり始めました。
で、
しばらくするとT字路があるので左折。
すると5分もしないうちに、右前方の一段下がったところに、
かつて、秩父東高等学校だった人っ気のない校舎&校庭が見えてきます。
県施設を右に見る方向で坂をくだり始めました。
で、
しばらくするとT字路があるので左折。
すると5分もしないうちに、右前方の一段下がったところに、
かつて、秩父東高等学校だった人っ気のない校舎&校庭が見えてきます。
>記事を書いてて、ここで気付いたんですが、
私、日陰のない (逃げ場のない) 道路では、写真を全く撮ってませんでした(^^;)
ここでも 「あぁ~ 高校跡地~」 と、しみじみしたんですけどね・・・
私、日陰のない (逃げ場のない) 道路では、写真を全く撮ってませんでした(^^;)
ここでも 「あぁ~ 高校跡地~」 と、しみじみしたんですけどね・・・
ひ・か・げ・は、ど・こ・だっ!
と、ドカドカ歩くしかなかったんです。 今にして思えば、反省。
3番寺から↑ここに着くまで、トータルで50分かかりました。
こちらの神門寺は 「ごうとじ」 と読むそうで、
私は初見で 「しんもんじ」。
実家の母は私に向かって 「神を 『ごう』 って読むんだって。 ごうもんじ?」
とまぁ、固有名詞の読み方は、かくも難しいものだと・・・。>各方面に ごめんなさい。
私は初見で 「しんもんじ」。
実家の母は私に向かって 「神を 『ごう』 って読むんだって。 ごうもんじ?」
とまぁ、固有名詞の読み方は、かくも難しいものだと・・・。>各方面に ごめんなさい。
境内の案内板にあった縁起には、>あらすじです(^^;)
かつては、この地域に神社があり、大きな榊が枝ぶりよく伸びていて
それが楼門に似ていたところから 「神門」 と呼ばれていた。
しかし年月が経つうちに、その木も枯れてしまい、
里の人たちが廃れた神社を再建しようと神託にうかがったところ、
巫女を通じて 「寺にせよ」 というお告げがあり、霊場にした。と >私の感想 「・・・すごいね!」
かつては、この地域に神社があり、大きな榊が枝ぶりよく伸びていて
それが楼門に似ていたところから 「神門」 と呼ばれていた。
しかし年月が経つうちに、その木も枯れてしまい、
里の人たちが廃れた神社を再建しようと神託にうかがったところ、
巫女を通じて 「寺にせよ」 というお告げがあり、霊場にした。と >私の感想 「・・・すごいね!」
個人的には、「ごうと」 は 「神戸」 と表記してたんじゃないかな~と感じるのですが、
どうでしょうね(^^;)
さて、こちらの観音堂は、ちょっとしたお楽しみがあります。
お堂の回廊の奥 (つきあたり) には扉が↓あって、数段下がっています。
どうでしょうね(^^;)
さて、こちらの観音堂は、ちょっとしたお楽しみがあります。
お堂の回廊の奥 (つきあたり) には扉が↓あって、数段下がっています。
ご本尊の下を通路が通っていて、中央に観音さまにつながれたお手綱がでてます。
いつでも、ご本尊さまと握手ができるようになってるんですね♪
ぜひ! 裏観音さまで握手っ(^^)
国道140号線沿いに神門寺はあるので、
タイミングをみて国道を渡り↑反対側の道を進みます。
こんな狭い道にも↓踏切警報機♪ 垣根マニアとしては、たまらないロケーション(^^)
ここに生活道路が昔からあるっていうことが、素敵♪
かつては熊谷にも、こんな感じの小路があったんだろうな~と、うっとりします。
今でも市街地には、途切れ途切れに小路跡が残ってますが、
空襲で失った風景&再開発(相続)で変わっていく風景ばかりで、
ちょっとだけ (いえ、かなり) 寂しいです(^^;)
今でも市街地には、途切れ途切れに小路跡が残ってますが、
空襲で失った風景&再開発(相続)で変わっていく風景ばかりで、
ちょっとだけ (いえ、かなり) 寂しいです(^^;)
ところで、
なぜ3番寺境内に、18番のお寺に向かう道の案内板があったのか?
自宅に戻って、いろいろ調べてると出てきました♪ その理由(^^)
なぜ3番寺境内に、18番のお寺に向かう道の案内板があったのか?
自宅に戻って、いろいろ調べてると出てきました♪ その理由(^^)
現在の巡礼番付 (まわる順番の目安) は、江戸期に成立したものですが、
じつは秩父札所には、江戸期以前の番付が存在していて
書きつけに 「長享2年(1488)」 とあるので 「長享番付」 と呼ばれています。
じつは秩父札所には、江戸期以前の番付が存在していて
書きつけに 「長享2年(1488)」 とあるので 「長享番付」 と呼ばれています。
その順番だと、
神門寺(現18番寺) ~ 常泉寺(現3番寺) の順に廻るようになってるんですね。
戦国時代の初期には、すでに秩父巡礼道があったわけで、
今回、私が通ってきた道がそうであるとは、殆ど思えませんが(^^;)
とにかく、根拠のないルートではなかったと♪
神門寺(現18番寺) ~ 常泉寺(現3番寺) の順に廻るようになってるんですね。
戦国時代の初期には、すでに秩父巡礼道があったわけで、
今回、私が通ってきた道がそうであるとは、殆ど思えませんが(^^;)
とにかく、根拠のないルートではなかったと♪
ただし、
常泉寺観音堂の場所も、昔はもう少し北の方にあったりで、
細かいことを言いだすと 「巡礼道」 も常に安定していたわけではなく、
当時は
「次は、あっちの山の方角にある観音様に行くだヨ~」
てな感じで、歩いてたんだろうし、
現在私も、そんな感じで歩いてるので、
ゆる~く(^^;)おつきあいいただけると有難いです。
常泉寺観音堂の場所も、昔はもう少し北の方にあったりで、
細かいことを言いだすと 「巡礼道」 も常に安定していたわけではなく、
当時は
「次は、あっちの山の方角にある観音様に行くだヨ~」
てな感じで、歩いてたんだろうし、
現在私も、そんな感じで歩いてるので、
ゆる~く(^^;)おつきあいいただけると有難いです。
14:47大野原駅発、1時間強で熊谷駅に着きます。
【参考資料】
「秩父市教育委員会の案内版」 各寺境内にある説明文を参考にさせていただいてます。
「秩父札所連合会公式サイト」 http://www.chichibufudasho.com/
「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道篇」 pdf 出力したもの
「秩父札所連合会公式サイト」 http://www.chichibufudasho.com/
「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道篇」 pdf 出力したもの