【秩父古道歩き】 3番 : 常泉寺へ向かう
●1日目 : 和同黒谷駅 ~ 1番 ~ 2番 ~ 3番 ~ 18番 ~ 大野原駅
1番寺から40分弱で2番寺に着き、一休みしたところで時計を見たら11時すぎ。
登ってくるのも大変だったけど、膝にトラブルを抱える身としては
下り坂はキケン。 とても、キケン。
脛の筋肉を最大限に使って、アスファルト道を下っていきます。
この場合はS字カーブの r (半径)が、できるだけ大きくなるようコースを取りました。
下り坂はキケン。 とても、キケン。
脛の筋肉を最大限に使って、アスファルト道を下っていきます。
この場合はS字カーブの r (半径)が、できるだけ大きくなるようコースを取りました。
途中で↑古道への分岐点♪
もちろん古道(右方向)へ進む。
しか~し、土の道の下り傾斜は更にキツかった。
乱暴に歩くと靴裏が滑るので、とにかくソフトに下りる。
ひぃぃいいいいっ
楽しい古道も10分弱でおしまい。アスファルトの道(車道)に合流します。
これは古道を下りて振り返った↑写真ね。
合流直前に、県の天然記念物であるキンモクセイの大木(と説明文の看板)があるんだけど、
樹勢が落ちてきてる雰囲気。 思わず 「がんばれ!」 と声かけしてしまいました。
2番寺の開基大棚禅師が植えたと伝わる、この木の近くには、
古い民家&岩肌に取り付けたような祠が残されてるけど、人の生活している気配は薄く、
キンモクセイも寂しいんだろうな~と。
作務衣姿の若いお坊様が対応してくださいました。
お参りして、御朱印いただいて、と慌ただしく過ごしてしまった上に
写真も撮ってない有様だけど
本当は、もうすこし滞在したかったんですよ。
だって、空き時間にスマホを操作する若者の所作が何とも今様で(以下自粛
写真も撮ってない有様だけど
本当は、もうすこし滞在したかったんですよ。
だって、空き時間にスマホを操作する若者の所作が何とも今様で(以下自粛
橋の名前は山田橋。これは地名(字名)ですね。
気持ちが焦ってたのか(^^;)歩きながら↓写真を撮ってますね。 これ・・・。
が、いらっしゃる観音堂は境内の左奥、石段を登った高台に↓あります。
観音様の御手綱を繋ぎとめる柱の上に↑なぜか日傘がついてました。日よけ・・・?トトロ?(^^;
こちらの観音堂、もともとは秩父神社敷地内にあった蔵福寺の薬師堂だったそうで、
明治3年(1870)神仏分離の長ずるトコロの廃仏毀釈のあおりをうけて
15番札所の蔵福寺が廃寺となったため秩父神社敷地内にいられなくなり(TT)現在地に移築。
明治3年(1870)神仏分離の長ずるトコロの廃仏毀釈のあおりをうけて
15番札所の蔵福寺が廃寺となったため秩父神社敷地内にいられなくなり(TT)現在地に移築。
これは↑正面の龍。
海老虹梁は、正面を支える梁↑の存在。 で、ものすごく凝った作りになってます・・・。
こちらは正面左側の虹梁。ズームして↑みましょう。
で、こっちは反対、右側。・・・彫ったんですよ? 人が。 すげーっ
市教委の案内板には、
「彫士は熊谷近くの玉井の住人飯田和泉と云われている」 「江戸後期の建築物」 とあって、
ここで↑私は、気になったんですよ(^^;)
「彫士は熊谷近くの玉井の住人飯田和泉と云われている」 「江戸後期の建築物」 とあって、
ここで↑私は、気になったんですよ(^^;)
でも、お名前の記録がある川原明戸の御方の作品なんじゃないかしら~ が、
ちょっとだけ調べてみた 私の 印象です。
秩父市教委の方、お手すきの時にご確認をお願いします。 あ、観光課の方でもOKで~す(^^;)
ちょっとだけ調べてみた 私の 印象です。
秩父市教委の方、お手すきの時にご確認をお願いします。 あ、観光課の方でもOKで~す(^^;)
でも、観音堂下の階段脇に見つけてしまったんです。「18番へ」の小さな看板↓
行くしかないでしょう。 と、決めてしまいました(^^;)
ということで、続きは後日。
【参考資料】
「秩父市教育委員会の案内版」 各寺境内にある説明文を参考にさせていただいてます。
「秩父札所連合会公式サイト」 http://www.chichibufudasho.com/
「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道篇」 pdf 出力したもの
『熊谷人物事典』(1982)日下部朝一郎/編著
「秩父札所連合会公式サイト」 http://www.chichibufudasho.com/
「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道篇」 pdf 出力したもの
『熊谷人物事典』(1982)日下部朝一郎/編著