毎日が夏休み in 熊谷

Yahoo!ブログより移転しました

空襲をくぐり抜けた建物 ② ~石原にて

子どもの頃から、ず~っと気になっていた←そういうのだらけなんです。私のアタマの中って(^^;)
石原の17号沿いにある建物。

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玄関上の照明のテイストが「普通の民家のものではない!」と私のアンテナ(?)を
刺激しつづけてけていたのですが、ついに資料の中に情報を発見。

やはり普通の民家ではなく、
今はやっていませんが、かつては歯科医院の建物でした。
そう見ると、たしかに医療系っぽい雰囲気がしますよね(^^)>私の思いこみということにしておいてね♪


ご存知の方も多いとは思いますが、
戦災を受けるまでは、八木橋の西側から始まる「一番街商店街」が中山道であり、

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多くの商店が並び、かつては石原郵便局もこの通りにありました。

しかし、
戦後復興の号令のもと、中山道は拡張&まっすぐ化され、
石原地区分は旧中山道の南側に広く土地を開くことになり、この歯科医院の建物は曳去移転、
石原郵便局も新しい国道沿いに作られました。


歯医者さん・・・いつ頃まで診療を続けてらっしゃったのでしょうね。
是非、建物の中を拝見したいのですが、
さすがにそれはムリというか、失礼ですので(^^;)>単に「昔の建物が好きなんです♪」という理由ではね
外から眺めて、いつもウットリしています。



じつは、石原地区には(私的に)いい感じの歯科医院が数軒あるのですが、
そのうちの一つは、
私と妹が社会人になって熊谷を離れるまで、子どもの頃からお世話になった診療所です。

外観の下見板張り、木枠の窓。
医院内の、しっとりと光沢を放つ木の床や、
ガラス越しに差し込む午後の陽の光などが、記憶に残っています(^^)

無理というか無茶な話ですが、
治療に通っていたあの頃に「写真を撮らせてください」と頼んでおけばよかったなぁ・・・。


そういう意味で、私の実家(昭和の典型的な自営業の造り:看板建築)の細々したところの記録を
今のうちに撮っておかないといけないんでしょうね(^^;)


同じく空襲をくぐり抜けた建物の記事はコチラ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurasou14/56059254.html


【参考資料】

『熊谷戦災復興物語』(1985)成澤壽/著
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php