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万平公園の「蚕霊塔」 【桜堤晴嵐】其の三: 熊谷八景①

Y!ブログの文字数制限で、桜堤について書ききれなかったことが、いくつかあります。
追記の形で、書いていきますね(^^;)


曙町にある万平公園の堤下には、目を引く建造物があります。
万平公園についてはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurasou14/54860601.html

これは、昭和36年(1961)埼玉県蚕糸業協会が建立した蚕霊塔で、
中央にあるのは、枝がかぶってますが(^^;)繭玉↓です。
イメージ 1


左が「桑つみ」のレリーフ
イメージ 2


そして、右は「繭かき」
イメージ 3


婦人像のレリーフ2点を配した供養塔は優雅であり、珍しいのですが、
これは日本美術院の同人、新海竹蔵がデザイン&制作したもので、言わば芸術品なんです。
私は、子どもの頃からこの供養塔が好きでした(^^)


桑園開拓などに力を入れた竹井澹如の縁から、この公園に蚕霊塔を建設したのだとは思いますが、
供養塔という存在意義を考えたとき、今はなくなってしまった建物を思い出します。


実は万平公園の東側、堤のすぐ隣には、平成10年(1998)まで「埼玉県繭検定所」がありました。

かつて繭取引は、仲買人によって買い占められていて、
その時々の言い値に生産者が不利益を被ることが多く、制度としては不十分でした。
そこで、公的な機関として「繭検定所」をつくり、生産者から繭を一括に引き受け検定をし、
その品質に基づいた取引をすることで、価格を安定させるというシステムにしたのです。

以下、検定所の歴史です。
昭和12年(1937)「埼玉県繭検定所」は、大原にあった「原蚕種試験場」から分離独立。
昭和20年(1945)8月14日、空襲で建物は焼失。一時、幡羅村に移転する。
昭和25年(1950)県繭検定所の新庁舎が再び元の場所に建築される。
平成10年(1998)3月、繭検定所廃止。

オマケの歴史としては、
1999年春にフジテレビ系列でオンエアされたドラマ「リッ○スティック」の中で、 
使用されなくなった「検定所」の建物が「鑑別所」のオープンセットとして使用された後、解体。
更地となった100m四方の敷地は、某ハウスメーカーさんが一括で買い取り、
現在は住宅地へと変貌しました。

当時は、広○涼子ちゃんとかがロケで来てるということで、結構、ギャラリーがいましたね(^^;)
私は、そのギャラリーを通りがかりに見る程度だったかな?>あまりテレビドラマ見ないので興味薄かったです。

あれから10年が過ぎたんですねぇ~ しみじみ・・・


蚕つながりで、余談をもう一つ♪
ご存知のこととは思いますが、熊谷近隣一帯は、養蚕も行う農家が多くありました。
私が子どもの頃も、父の実家(江南)の二階では「お蚕さま」を育てていました。
毎年、私は何匹か分けてもらい、近所の桑畑の葉を与えながら繭にし、羽化させては庭に放してました(^^;)

ご存知ですか? 
お蚕さまって、手に取ると温かいんですよ(^^) なつかしいな~



【参考資料】

『埼玉県繭検定所55年史』(1977)埼玉県繭検定所/編
熊谷市史 後編』(1962)熊谷市編集委員会/編
熊谷市郷土文化会誌 第53号』(1998)熊谷市郷土文化会/発行
http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php