法事で福島へ
私の祖母(母の母親)は去年、100才(数え歳)で亡くなりました。
亡くなる直前、体調を崩すまで、
畑の草むしりなどに精を出していた、見事な明治女でございましたが、
私は当時、体調がすぐれなかった為に、
そして妹は丁度出産が重なり、姉妹揃って葬儀には行けず、
一周忌となった今年、挨拶に行くことができた次第です。
畑の草むしりなどに精を出していた、見事な明治女でございましたが、
私は当時、体調がすぐれなかった為に、
そして妹は丁度出産が重なり、姉妹揃って葬儀には行けず、
一周忌となった今年、挨拶に行くことができた次第です。
お葬式に参加できなかったため、
私たち(姉妹)の知っている祖母は、いつの間にか
「黒い着物を着た写真の人」になってしまったという感じで、
祖母はもういないんだという実感が掴みきれず、
妹と祭壇の前でお線香を焚きながら、
「ばあちゃんがいないということが、ピンとこないね~」と、不謹慎にも呟いたのでした(^^;)
私たち(姉妹)の知っている祖母は、いつの間にか
「黒い着物を着た写真の人」になってしまったという感じで、
祖母はもういないんだという実感が掴みきれず、
妹と祭壇の前でお線香を焚きながら、
「ばあちゃんがいないということが、ピンとこないね~」と、不謹慎にも呟いたのでした(^^;)
さて、母の実家では、
法事の前の晩から、近隣の人を呼んで会食が開かれるというので、
その準備などを私も手伝いました。
法事の前の晩から、近隣の人を呼んで会食が開かれるというので、
その準備などを私も手伝いました。
何処にしまってあるのか、
旅館のように、座布団&食器一式がズラッと出され、
そこにお椀の具材や、煮物、お浸し、果物などを約25人分、
どんどん盛りつけ配膳し、従姉たちとあたふたと準備をしました。
旅館のように、座布団&食器一式がズラッと出され、
そこにお椀の具材や、煮物、お浸し、果物などを約25人分、
どんどん盛りつけ配膳し、従姉たちとあたふたと準備をしました。
それにしても、
あれだけの料理の下準備、一体いつから始めたんでしょう?
あれだけの料理の下準備、一体いつから始めたんでしょう?
今にして思えば、あの時の写真を撮っておけば良かったのですが、
一昨日は、それどころでは、なかったです・・・
一昨日は、それどころでは、なかったです・・・
でも、田舎ならではの壮観な宴会準備風景でした~(^^)
で、上にUPしたのは、日曜日の法事・昼食会が全て終わって、
夕方に行ったすぐ近くの浜。
夕方に行ったすぐ近くの浜。
小さく写ってるのは、砂を掘ってる私の母と息子です。
私が子どもの頃、毎年お盆休みには母の実家に行き、
ここの浜で海水浴をしました。
ここの浜で海水浴をしました。
よって、私にとっての<海>は、ここ。
次は、いつ、来られるのかしら?
息子にも、こんな思い出の風景を
どれだけ持たせてあげられるのだろう?
どれだけ持たせてあげられるのだろう?
浜で写真を撮った後、夕方の雲が綺麗だな~と眺めながら、そう思いました。