毎日が夏休み in 熊谷

Yahoo!ブログより移転しました

幸安寺に安置されていた「忠魂碑」

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三ヶ尻村役場敷地内にあったという
「西南戦役後の戦没者招魂碑」
前振りとなった記事はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurasou14/47418698.html

現在は、
三尻幸安寺、新幹線高架南側の墓地にありました。
かなり高さのある石碑なので、墓地の入り口からでも場所が確認できます。

でも陰刻されている表書きは「南無阿弥陀仏」。
昭和22年(1947)の建立となっていて、
裏には、西南戦役から太平洋戦争後までの戦没者のお名前がありました。

元々は、「忠魂碑」と陰刻された石碑で、
旧村役場の松の木の下にあったのですが、例に漏れずGHQの通達があり撤去。
忠魂碑とGHQについては、こちら
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurasou14/47467142.html

「倒したり埋めたりするのは忍びない。自己破壊行為である。」
と、幸安寺が引き取ることになったのですが、
・目立たぬように、裏の墓地の奥に置く。
・「忠魂碑」の文字を抹消し「南無阿弥陀仏」と改刻。
ということになったそうです。

進駐軍が、9月16~19日の3日間で旧飛行学校に進駐完了という、
【米軍キャンプの村】として、
当時、真剣な話し合い&対応が、もたれたであろう事が想像できます。

米軍の進駐ルートは、大麻生~三尻役場前~キャンプ(旧飛行学校)だったから、
余計に神経を使ったことでしょうね・・・。



ちなみに旧文字の「忠魂碑」は、拓本にとってあるそうですが、
これは確認していません。
幸安寺さんに、「見せてください!」と突撃できなかったチキンな私(^^;)

ご縁があったら、拝見できる機会はきっと来るでしょう♪




【参考資料】
三尻の石碑漫歩:嶋田文夫著
熊谷市郷土文化会誌(第48号)
瓶尻の里

八幡神社神職さまには、
たまたま神社内を通りかかったアヤシイ散策者の私に対し丁寧な応対をしていただき、
地元の方が作られた本「三尻の石碑漫歩」を紹介してくださいました。
この本の存在を教えていただかなければ、今回の石碑の行方は判らなかったと思います。
ありがとうございました。

「瓶尻の里」については、大変参考になった資料なのですが、
自費出版のためか奥付がなく、著者名が正確にはわかりませんでした。>勿体ないことです。
書籍の内容からして、幸安寺のご住職様か、その関係の方かと思っています。