毎日が夏休み in 熊谷

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三尻観音山:やねや塚古墳

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今日もいいお天気♪

先週に引き続き、すっかり三尻づいて(?)いる私。
地名の由来の確認で、観音山に行ってきました。

久しぶりに登った観音山の階段は、とてもとてもとてもとてもっ!
キツかったです(TT)心拍が・・・
別に登らなくてもよかったんですが、登りたくなっちゃうんですよね~>単に高いトコ好き♪

その昔、上水道が引かれる前、
この観音山の山頂に、村民悲願の公共の井戸を掘り当てたそうで、
その水場の名残は今でも残ってます。
また、竜泉寺境内にはその記念碑があります。

しかし、この急勾配!
水を持って下るのは、かなりキツイというより、
危険な仕事だったのではないかと、今日、階段を下りながら思いました。



で、ここからタイトルの話。

山の西側の墓地の駐車場に車を止めて、竜泉寺の方に向かって歩いてたとき、
ふと山の下方をみると、明らかに人工の石組みが見えるのに気付きました。
形状は、まさしく石室!

古墳のある場所には、
神社、仏閣、祠などが建てられていることが多いのですが、
ここにも古墳があったの!?
と、お寺に行った後に寄ってみました。

石組みは発掘後、再度組み直したのでしょうが、
横穴式の石室、そのまんま♪
丸石なところが、当時も荒川流域だったことを物語ってます。

橋のつもりなのか、誰かが何故か渡した石板がありました。
こうなってくると、ちょっとした秘密基地?

肝心の古墳案内板も倒れてしまっていて、>サムネイル①
正確に読むことは出来ない状態。
教育委員会さん、直したほうがいいですよ~


このあと、地元のおばさんと立ち話をするチャンスがあり、
「この周囲は昔、わき水(荒川の伏流水)が出ていてカニがいた。」とか、
「昔はここ(観音山)から飛行学校(自衛隊)の敷地まで何にもなかったので、
戦時中は観音山に穴を掘って、兵隊さんが(燃料の)ドラム缶をいっぱい置いていた。
戦争が終わってアメリカ軍が来るというので、
できるかぎりのドラム缶を持ってきて埋めて隠していた。」
と、リアルなお話を聞くことが出来ました。

観音山は、防空壕兼、軍の倉庫だったんですね。
当時、使っていた穴は、埋めてしまったそうですが、
今でも「山肌が大きく窪んだ場所」が、倉庫跡なんだそうです。

今度、山の周囲を歩いてみるか~

散策すると、色々な発見と出会いがあります(^^)嬉しい♪