毎日が夏休み in 熊谷

Yahoo!ブログより移転しました

「旧大麻生村」道路元標

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「『おおあそう』、漢字で書くと大麻が生える」・・・ベタな作で恐縮です(TT)

さて大麻生は、本来は「オオアソ」「オアソ」と発音されてました。
「アソ」には、「川の水が浅い場所・湿地」の意味があるそうです。

荒川流域の低湿地から生まれた地名になりますが、
漢字表記はあくまでも「当て字」で、麻や大麻とは関係はないとのこと。

そうだったのか~



さて、大麻生村の道路元標は、
JA大麻生支店の隣、赤城神社入り口にありました。

今日は、固定資産税をJA↑で払い込んだのね。
そしてついでに、大麻生の旧村役場はここの場所であったことを確認♪

「昔のことでよくわからないけど」
と、職員の方は仰ってましたが、
昔の役場と農協が同じ敷地にあったところ、合併を機に農協をこの場に残し
別の場所に熊谷市役所の支所兼公民館を建てたとのこと。
よって、大麻生村合併記念碑もJA敷地内にあります。


そして神社に隣接する形で、大麻生小学校があるのですが、
そこの敷地はずれに、大正11年建立の忠魂碑が建ってます。
かなり大きなものなので、旧140号を運転しながら以前から気になってたんです。

「忠魂」だけ・・・?「碑」の部分は?って

側に行ってわかったのですが、最後の一文字は破損したまま、地面に置かれていました。
写真でいうと、画像右端のもう少し奥にあります。

戦後まもなくGHQ(占領軍)が
戦争賛美をしている記念碑などの撤去命令を出していたため、
この忠魂碑も一度は引き倒され放置されてたか、埋められてたか、していたんでしょうね。

昭和55年、同じ場所に新たに塚をつくり、立て直したそうです。

石(碑)に歴史あり。ですね。


今回は、旧道140号を縫うように残る、
秩父街道(秩父往還)の跡が、気になりました♪

そのうち、歩いてみましょう!



【参考資料】
熊谷市郷土文化会誌(第43号)
熊谷の合併の変遷

道路元標については、こちらをご覧下さい。