毎日が夏休み in 熊谷

Yahoo!ブログより移転しました

妻沼聖天さま、修理中。

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<お詫びと訂正案内>
この記事は11月7日にアップしたブログですが、
翌8日に私、さくらが画像を削除した為、それに関する記事文章を大幅に変更しております。
削除したのは、見学会場での内部の様子の写真です。
私としては、昔から慣れ親しんできた聖天さまの今の様子を皆さんに知ってもらい、
修理が完成し、お披露目になる日を楽しみにしてもらうキッカケになれば・・・という、
安易かつ個人的な、希望と判断での写真掲載でした。
ただ、ご本殿外観と中門につきましては、
当初のままアップさせていただくことをお許しいただきたいと思います。
ご心配をおかけした関係者様には、心よりお詫び申し上げます。 合掌


以下、本文記事です。


妻沼の聖天様(しょうでんさま)の修理見学会に行ってきました。
外から見ると、今はこんな感じになってます。>写真↑
普段は現場の公開はしていないし、滅多にない機会なので、絶対に行きたいと思っていたのです。

平日の日中と言うこともあって、見学者は年配の方が中心で、
3歳児を連れてたのは私だけでした(^^;)
ヘルメットをかぶって、足場の上にGO!屋根のすぐ側を歩いて見学なんて
こんな時でなくては、出来ませんものね♪


聖天様の縁起は、鎌倉時代前からあるのですが、>斉藤実盛が始めたらしいです。
現在修理しているのは、今から約250年前の徳川吉宗の時代に、
民間からの喜捨(お布施)のみで建造された建物です。

幕府や忍藩からの援助は受けず、ひたすら農民や商人からのお布施で作られた寺としては
規模内容ともに素晴らしく、国の重要文化財になっています。
現在でも、この聖天様(お寺)に檀家さんはいなくて、
土地の人たちは自分の家のお寺の他に、聖天様とつきあいを続けているとのこと。>ビックリ!

今回修理しているのは、主に建物の外側(彫刻・屋根)。
250年の年月は、東照宮並に彩色されていた彫刻群をハゲさせてしまったので、
木地の手入れをして、昔ながらの顔料(岩絵具など)で彩色しなおすとのこと。

また、今回の修理で外した屋根の下にあった壁面には、
江戸時代の彩色が残っているところもあったりしました。
往年は、柱1本にも綺麗な装飾がなされていたんです!
ものすごく感激しました。
昔の人の信仰心には、敬意を示したいです。


そして、案内の人の説明で私が唸ったのは、
建築の途中、利根川の大洪水で工事が10年強、中断されたとのこと。
建物の半分から奥は1744年、半分から手前は1760年に完成で、
内部の装飾が「手前の建物は少々控えめになっている」とのこと。
洪水の後で、喜捨も集まりにくかったのでしょう。
たしかに洪水前と洪水後では、欄間の装飾が略されているのが判りました。>要はハデではない。

因みに洪水ですが、
明治期の利根川洪水時の水跡が、中門にあるとのことで、
ガイドの方に伺ったところ、写真のおじさんの背丈ぐらいまで水が来たそうです。
因みに疲れて座ってるのが、息子です(^^;)>サムネイル①

見学では、ヘルメットかぶって大人しくしていたので助かりました。
「工事現場」だというのが、よかったみたいです(^^;)

ついでに、おじちゃん&おばちゃんのアイドルになってました。


こんな風に、
帰ってきてすぐに記事をアップできると、忘れなくていいのかもしれないけど、
私がトロトロ作文してるから、息子はお昼寝から起きちゃうし、
おねしょだ、着替えだ、洗濯だ、おやつだ、とやってるうちに
PCはスタンバイになってるし(^^;)

でも、楽しかったです!