毎日が夏休み in 熊谷

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「熊谷市」道路元標

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こんにちは。
更新が滞ってます・・・
なので、近場を攻めてみました(^^;)

お膝元の道路元標で~す♪


国道17号の鎌倉町交差点、八木橋信金ATMの間の歩道に
熊谷市の道路元標は、「ちょいと埋まり気味に」あります。>写真

もともと道路元標は、大正8年(1919)に法制定されたもの。
そして当時は、まだ「熊谷町」。>ちなみに「熊谷市」になったのは昭和8年(1933)。
ということは、今建ってる写真の元標↑は(多分)2代目になります。

そうなると、気になるのは「熊谷町」の道路元標。
どこにいったの~!?

三尻の忠魂碑のように
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurasou14/47811899.html
トレースすれば見つかるシロモノのような雰囲気では、ないんだけど、
また探すことになるのかしら?・・・やめときます(^^;)


この元標がある交差点は、
熊谷寺を起点に、東松山~坂戸~八王子~厚木を経て
神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社(通称「石尊さま」:石そのものが御祭神なため)
http://www.afuri.or.jp/index.htm
へ通ずる、結構メジャーな昔からの街道。
昔は、熊谷寺前から荒川大橋に向かう鎌倉町通りは、石尊街道とも呼ばれてました。




一般的に、道路元標は旧役場前などにあることが多いのですが、
熊谷は、お寺の門前に鎮座。

旧町役場は、ここからもう少し東にある千形神社の敷地の一角にあったのだけど、
学校という制度が整備される前、お寺は色んなイミで
雑多な用途をこなした、コミュニティの中核を担っていたので、
熊谷寺門前、中山道脇を「町の中心」ということにしたんでしょうね。

そういえば、「熊谷県」だった時代(明治初期)には、
熊谷寺境内に県庁があったそうだし、
本陣(格の高いお宿)も、この交差点脇にあったし、
とにかく「中心地」だったことは、間違いないようです。
今は昔・・・ですね(^^;)


私にとっての「今の町の中心」は、
そうだなあ、
八木橋・星川お祭り広場・駅北口前を結んだエリアかなぁ

それも「あえて言うなら」って感じですけどね(TT)


人と文化、マンパワーというか活気が、
もう少し感じられると、いいんだけどね~(^^;)


でも、熊谷、好きですよ♪